当院について
その生い立ち
「高田馬場 腎研クリニック」
顧問 大島研三□戦後の日本、それは永久に戦争を放棄し、平和で、心豊かな国土を作るという理解に向かって歩き出したことは、皆さんよくご存知のことです。
透析療法も又その一環として出発しました。
思い出の多いのは、腎研クリニックという名称で、その頃すでに、診療所名に、臓器の名前を禁止されていたにも拘わらず、腎という名称を使うことが許されたことです。
もともと大島は、国立腎センターを作りたく、八方努力していましたが、国立循環器病センターが出来る事になって、当分は国立のセンターは作れないとの勧めに従い、当腎センターを作ることになりました。
臓器名を診療所名に使うことは、禁止されていましたが当クリニックの設立のいきさつに基づいて、特例として許可になりました。
もうひとつの特徴は、当クリニックはサテライトセンターとして企画されたもので、特に日大病院のサテライトとして今日も密接な関係のもとに運営されていることです。
もうひとつの思い出は、確か設立20周年記念のとき統計を取ったのですが、その結果当クリニックの患者さんの平均余命は、国民全体の余命を上回ることでした。
つまりそれは、当クリニックの透析患者さんは、一般国民よりも長生きするという喜ばしい結果でした。
すべての職員と患者さん一致して、益々の成果を、期待する次第です。
診療時間
毎日 | (除く日曜日) |
昼間部 | 9:00 ~ 15:00 |
夜間部 | 14:00 ~ 21:30 (土曜日[20:00]まで) |